台東スロートラベル
東海岸の太平洋(実景・交通部観光署オープンデータ)

多良 · 台湾で最も美しい駅 · 南廻線のものがたり

海の上のプラットフォーム

列車はもう停まらない。けれど海はそこにある。台湾でいちばん美しい駅の駅長は、南廻の海風だ。

海岸編輯室·更新 2026-05-28 · 4分で読めます

台湾に、列車がもう停まらなくなった駅がある。

その名は多良駅。台東県太麻里郷、南廻鉄道の山の斜面に建つ。斜面に張りつくような高架の造りで、一階は待合室と切符売り場、二階のプラットフォームはそのまま太平洋に向き合っている。1992 年に開業し、2006 年に廃止された。

それからずっと、この駅は列車を待ち続けている。

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なぜ最も美しいのか

旅行メディアはこの駅を「台湾でいちばん美しい海辺の駅」と呼ぶ。

その理由は、じつのところごく物理的なものだ。南廻鉄道は多良のこの区間を、海岸山脈の中腹を削るようにして通している。だから駅も山の斜面に建てるほかなかった。台鉄は当時、高架にすることで地形の問題を解いた ── そして思いがけず、台湾で唯一、プラットフォームが正面から太平洋に向き合う駅をつくり出してしまった。

二階のプラットフォームから見下ろすと、列車を待つ人もいない、弁当の匂いもない、アナウンスの声もない。残っているのは、あの錆びた赤い鉄の手すりと、その下に信じられないほど青く広がる海、そしてときおり轟音とともに通り過ぎていく、もう停まることのない列車だけだ。

駅は廃されても、その心を惹きつけてやまない魅力までは廃されなかった。

—— 台東製造 旅行誌
南廻線のかたわらに広がる太平洋の海景、海岸山脈がひたすら南へと続く
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ひとつの駅の 14 年

1992 → 2006。

わずか 14 年。あまりに短くて、ここで列車に乗った多くの人は、のちにその思い出を置く場所さえ失ってしまった。

南廻鉄道は台湾で最後に開通した鉄道で、1992 年にようやく台東と屏東をつないだ。多良駅は当時、集落の住民の通勤のために設けられた小さな駅だった。やがて人口は流出し、学校は統廃合され、路線バスがその役割を引き継ぎ ── ひとつ、またひとつと理由が重なって、駅は廃止へと追いやられていった。

それでも列車は通り続ける。台鉄は駅を展望台へとつくり替えた。待合室のガラス窓を開け放ち、切符売り場の鉄柵をしまい込み、錆びた赤い鉄の手すりはそのまま、プラットフォームもそのまま、「多良車站」というあの看板もそのまま残した。

すべては、まだそこにある。ただ、列車が停まらなくなっただけだ。

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かたわらの瀧(タキ)集落

多良駅の足もとに広がるのは、**排灣族(パイワン族)**の「瀧(タキ)集落」(Tjavualji)だ。

「瀧」というこの字は、日本統治時代に日本人が集落の名を訳すために用いたもので、「水が高いところから流れ落ちる」という意味だ ── 瀧集落はちょうど、中央山脈からひと筋に下ってきた山の湧き水が、太平洋へとたどり着くその最後の区間に腰を下ろしている。

そのそばには「向陽薪傳木工房」もある ── 集落の人々が、大きな台風のあとに残された流木を使い、机や椅子、彫刻、暮らしの道具をつくっている。これは排灣族(パイワン族)が「駅が消えたあと」、自らの手で育てていった新しい暮らしのかたちだ。

多良を訪れるのは、ただ列車の廃墟を見るためではない。「鉄道の時代が終わったあと」、ひとつの集落がどのように生き続けているのかを見るためだ。

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行きかた

  • 場所:台東県太麻里郷多良村 199 号
  • 交通
    • 自家用車:台 9 線(南廻公路)の 415K 付近から多良村へと下りる
    • 公共交通:鼎東客運山線 8132/8135/8135A/8136/8137/8138 系統のバスに乗り、多良駅で下車、徒歩約 200 メートルで到着
  • おすすめの時間帯
    • 早朝:海面がいちばん青く、人がいちばん少ない
    • 夕暮れ:暮色が海面の上でゆるやかに色を変えていく、写真を撮る人がいちばん多い時間
  • 滞在の目安:30 分から 1 時間
  • 周辺の見どころ:瀧集落、向陽薪傳木工房、金崙温泉、太麻里曙光園区
  • 注意事項:展望台は構造上の安全のため、ときおり閉鎖されることがある。出発前に台東県政府の観光情報を確認のこと
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あとがき

列車の時代は終わった。それでも多良駅はそこにあり、いまも海を見つめ続けている。

都市に暮らす人にとって、ここはおそらく、いちばん容易にたどり着ける「時間に忘れられた場所」だ ── 台東市街から車でおよそ 50 分、降りて 200 メートルも歩けば、あなたは台湾でいちばん美しいプラットフォームに立っている。海風はまだ吹いている。波の音もまだ聞こえる。錆びた赤い鉄の手すりが教えてくれる。ここにはかつて、訪れた人がいて、去っていった人がいたのだと。

立ち止まること、それ自体がひとつの到達なのだ。

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